まえ、左脳右脳的なことを書いたけど、イコールじゃないかもだけど意識無意識としてみる。
ぐるぐる絵は、「意識的」に無意識で描いてみるってことをやってみたりする実験というか訓練というか遊びというかなのだが、
「ここにもっと足したほうがバランスいいんじゃないか」とつい考えて、もうその時点で無意識じゃないだろと思ったりする。
ところで、心理士の知人曰く、脳は隙間をふさいだ方が集中しやすく、勉強中にBGMを聞くほうがはかどるとのこと。
それはお坊さんの瞑想に使う数珠のようであり、歩行瞑想?の足の裏のようでもあり
思うに、その隙間の埋め方は、意識を使っているときは無意識で隙間を埋め、無意識の時は意識で埋めるという条件がありそう。
なぜなら、私のぐるぐる絵は、カフェで知らない人の会話をBGMがわりに聞いたり、YouTubeで本の朗読を聞きながら描いていたり、
絵を無意識で描いて、ことばを意識している。
一方、ことばが入ってくる例えば漫画みたいなものを描くときは人と話せないし、ラジオも聞けない。
ちなみに、おしゃべりしなくても、その場に知っている人がいるだけで気を取られてことばがあるのもは、描けない。絵は話しながら描けるのに・・・
学生時代教室で集中できなかったのは、きっと そのせいなのでは。
もし授業中、競馬の馬マスクをかぶっていたら、すごくお勉強ができたかも?